テノールの浩ちゃんです。昔の話、その4

 前回に会社に入って「ひょんなことから合唱を始め…」と一括りしましたが、今回は「ひょんなこと」の顛末を紹介しましょう。
 日立に入社し、半年間の現場実習を終えて配属されたのが、車両製造部製缶課でした。ここは電気機関車など製造品の初加工部署で、車体の外側(鋼体)だけを作る部門です。そこに佐藤 勉さんと言う棒芯(職制順に、部「部長」→課「課長」→係「主任」→組「組長」→グループ「棒芯」)の方が居り、ある時「佐藤君やって見ないか」と言って渡されたのが混声三部合唱の楽譜本でした。なんの気なしに「ハイ」と答え、歌い始まったんです。でも楽譜の知識は、中学で習った「♭のところはファと読む、♯のところはシと読む」と言うことしか知らないので、寮で一生懸命ドレミファ(移動階名)を書いて「出来た」と思い、練習に行くと先輩方は一歩も二歩も先に進んでいるんです。「皆さん、凄いなぁー」と感心しながら頑張ったんですよ。
 その当時、歌い出しの音は音叉で採っていました。ですから調が変るとCかAから読み換えなければならず、最初は中々上手く音採りが出来なかったんです。それでも頼りはその音から階名を自分の中に作って歌うので、読譜力は付きました。今でもドレミファが出来ないと歌えません。その後、佐藤さんに勧められて「あひる会合唱団」に入り、45年程歌ったんですが、昭和50年頃からはピアニカやカシオトーンなどの楽器が沢山出て来て、耳から聞いて歌う練習方法に変わって行きました。でも、これで困るのは自分の中にドレミファが出来ないまま歌うので、音程が不安定のままになる弊害が生じるんです。
 シャンティーでは、楽譜が来ると最初必ず階名(移動に限らず固定の場合もある)で歌いますね。これは大変素晴らしいことです。30年以上も耳から聞く練習を続けた結果、楽譜が読めず愕然としています。階名で歌うことの良さを思い知らされた此の頃です。では、この辺で。